施餓鬼供養において対象となる仏には5種(それぞれに独自の色を配す)あるが、これがいわゆる「五如来」である。経典によれば、五如来の威光が餓鬼を救うとされている。本稿では、盆・施餓鬼期間にとりわけ馴染み深いこれら各如来について概略する。先祖供養に際しての施餓鬼の意義を再認識していただければ幸いである。
五如来の「如来」とは「仏」を意味し、施餓鬼法要はこの五如来の幡をシンボルにして修される。幡は、青・黄・赤・白・黒の五色から成り、それぞれの幡に五如来の名が記されている。ちなみに、青は空、黄は地、赤は火、白は水、黒は風の性質を象徴する。五如来の色は、したがって、「生命」を育む根源要素の本質を表しているのである。
宝勝如来(南方宝勝仏)
宝勝如来は別名、「多宝如来」ともいう。布施をせず、むさぼりの業を為したため餓鬼世界で苦しむ者を救済し、円満ならしめる仏である。この仏は釈迦如来とともに、多宝塔にまつられている。なお、宝勝如来と釈迦如来は本来同一であったという。二体並座したこの仏は、あらゆる人々を永遠に救い続ける、ということを象徴している。
妙色身如来(東方阿門仏)
妙色身如来は、「阿門仏」のことである。悪業を因とした醜い身体・形相の餓鬼を救う仏である。妙(美しい)なる色身(からだ)の仏、という意。誠意ある施餓鬼供養を通じて、供養する我々は自身も穏やかな表情になれるよう願うのである。「阿門」とは、「無瞋恚」と同じ意で、怨みや怒りから解放された状熊、とされている。なおこの如来は、東方世界に妙喜浄上を建設した仏である。
甘露王如来(西方阿弥陀如来)
甘露王如来は、「阿弥陀」のことである。餓鬼世界はいうまでもなく、苦しみに満ちた世界である。この如来は、その筆舌を越えた苦しみを取り除き、心身を安穏ならしめる仏である。ちなみに「甘露」とは、「心身を潤すもの」という意。阿弥陀が別名、無最寿如来・無量光如来と呼ばれているのは、この仏の智慧(光)と慈悲(寿)が無量(際限ない)ということを象徴するからである。
広博身如来(中央大日如来)
広博身如来とは、「大日如来」のことである。食事を欲しても、喉が狭くて食べることのできない餓鬼の咽喉を大きくし、飲食の楽しみを与える仏(密教系統の仏)。大日如来はいうならば、宇宙の生命、人間、天地のすべてを「仏格化」した仏である。
離怖畏如来(北方釈迦如来)
離怖畏如来は、「釈迦」のことであり、慈悲仏である。餓鬼世界では、餓鬼は常に恐怖におびえているため、その恐怖を取り除くことを目的とした仏といってもよい。釈迦が座っている状態の手の形を「施無畏印」・「与願印」といい、 これは釈迦の悟りの内実、根本的な願いを、手の形で表している(印相)のである。なお「印」は、不安を取り除く、というサインでもある。
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