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固定観念
「固定観念」とは、絶えず私たちの意識を支配し、それによって言動が規定あるいは制限されるような「疑いを入れない強固な思い」を指します。固定観念は誰しも多かれ少なかれ持っており、それが当人の価値観や判断基準になっていたり、あたかも性格の一部のようになっていることもあります。しかしその度合いが嵩じると、周囲の状況変化に際しても人の意見を聞かずに自分の考え方や捉え方に固執し、さらには思い込みが激しくなる結果、柔軟な発想や適切な判断を妨げてしまうことがあります。一般に「理念」、「原理主義」、「信念」などの概念も、基本的に疑うことのない「物事を考える上での確固たる方向性」であり、ある種の固定観念と言えるのかもしれません。ただし留意すべきことは、固定観念それ自体が問題なのではなく、あくまでも「その観念が現在の状況において時宜に適い、有効に機能しているのか」が問われるべきであるという点です。その際、必要なのは「変わりゆくもの」と「変わらぬもの」に対するそれぞれの本質的な価値の見定めでしょう。 固定観念に囚われている人は往々にして、自分の思念を正当化するのに

明輪寺 / 空性寺
4月11日読了時間: 9分


進化・進歩・退化
英国人博物学者ダーウィン(1809~1882)が『種の起源』(1859年)で展開した、いわゆる「進化論」は理科の教科書にも登場する現代の科学的常識です。そして言うまでもなく、人間も他の動物と同様に、長いあいだの進化を経てきた自然界の産物であり、何百万年もの昔に東アフリカの片隅で原人(人類の祖先)が他の類人猿と決別して二足歩行を始めたと推測されています。それはあたかも、生後かなり経って這うことを始めた幼児が一年を過ぎるころ、ある日突然立ち上って覚束ない足取りで歩き出す様子に重なってみえます。原人と幼児のこの相似は、大きな愕きであると同時に名状しがたい神秘でもあります。それは偶然の進化であるといえば、そうであると言えます。しかしまた、そのように振舞うべく遺伝子レベルで決められ、準備されていたのだといえば、必然の成行きであったということもできます。他方で、二足歩行のみならず、両手を使って火をおこしたり、石器を作るようになることなどに象徴される人類独自の「進化」と並んで使われることの多い、もうひとつの似た概念である「進歩」という

明輪寺 / 空性寺
4月11日読了時間: 10分


後悔
なにかの折に人生の来し方を振り返るとき、「あの時、違う行動をしておけば・・・」という思いが浮かんでくることがあります。「後の祭り」とはよく言いますが、人は年を経るにつれ、自分の過去を回顧して種々に後悔することが多いものです。また私たちは往々にして、因があっての果ではなく、その逆に結果から原因を作り出して、「ああすればよかった、こうすればよかった」と、自分には別の選択肢が「あの時点」ではあったはずだと思い悩むことがあります。ただし、本当にその時点において自分には選択の自由というものがあったのか。「あの時、そうしないこともできたはずだ」、あるいは「あの時、気づくことができたはずだ」等々は、すべて後付けの理屈であり、「あの時」に自分のなかで展開していた心の動きは誰に強制されたわけではないのです。そこにこそ「後悔」にまつわる問題の不条理さがあると言えます。 私たちはこの「後悔」という精神作用を通じて、かつて自身が招いた大小さまざまな失敗や禍の原因あるいは契機を反芻しつつ、過去の自分の行動を現在の自分の姿に重ねて投影させます。その際、もはや時計の針を

明輪寺 / 空性寺
4月11日読了時間: 9分


嫉妬の功罪
「将軍、くれぐれもご注意を。恐ろしいのは嫉妬です。それは眼尻を緑の炎に燃え上がらせた化け物です。人の心を餌食とし、苛み、弄ぶのです。」 これはイギリスの劇作家シェイクスピアが人間の嫉妬を鮮烈に描いた悲劇『オセロー』の一節であり、劇中、将軍オセローの側近で策略家のイアーゴーが...

明輪寺 / 空性寺
2023年2月2日読了時間: 9分


喪失
日常の歩みのなかで、私たちは様々なものを失いながら生きています。世間で耳にすることが多い「会うは別れの始めなり」あるいは「生者必滅、会者定離」とは、まさに文字通り、出会いには必ず別れがあるというのが世の常、との意です。そこには、出会う喜びと別れの悲しみの両極をもたらす人生の...

明輪寺 / 空性寺
2022年5月19日読了時間: 9分


Ojo and Eternity : A Thanatological Pure Land Perspective
Death has long been recognized as an effortlessly determined empirical fact, not requiring further discussion or elaboration. But a...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 8分


よどみに浮ぶうたかた
よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたる例なし (方丈記) 上記の一節は、水の上に浮ぶ泡沫(うたかた)は儚く消えやすいものだ、という「実体のない無常なもの」の譬えです。わが国においてバブル(泡)経済が崩壊してもう10年を超えますが、現下の苦境を単に金融...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 3分


自業自得
何か悪い出来事に遭遇した人に向かって、「そうなったのは自業自得だ」ということがあります。自業自得とは自因自果ともいい、自分の行為の結果が自分自身に及ぶことをいいます。これは必ずしも悪い行為に限りません。そして、良きにつけ悪しきにつけ、「蒔かぬ種は生えぬ、刈らねばならぬ一切は...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 5分


自然法爾
昨今は地球環境問題といった大きなテーマから、人間性のありように至るまで、「自然」という言葉が従来以上に深い意味をもって論じられるようになってきました。本稿では、この「自然」を私たちの心構えの中でどのようにとらえるべきか、について考えてみます。...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 5分


生死一如
死は人生の終末ではない、生涯の完成である マルティン・ルター(1483-1546) 仏教を開いた釈尊の出家は、ご承知のように、生老病死という人間にとって最大の課題をいかに解決するかという問題意識がその動機となっています。釈尊は長い修行を経て、人間を「生老病死していく存在」と...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 12分


如実知見
仏教の本質のひとつは、『如実知見』、つまり事実を事実としてあるがままに、ものの真実の相を正しく見極めることであるといいます。 この人生において確かなのは、出る息と入る息の間の命だけです。しかし、そんな人生だから面白おかしく生きようというのでは、浅薄な快楽主義に堕してしまいま...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月26日読了時間: 5分


欲望の限界
動物と違い、人間の欲望には果てがありません。欲望に限りがない以上、不満も同様です。たとえば大病を患ったときには、健康が何にもまして一番だと思いますが、病気が治って元気になり、日常生活に慣れた頃には、再びさまざまな欲望が湧き起こり、その一方で些細なことに不満が募りはじめます。...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 13分


競い合うことの功罪
現代社会は競争社会でもあります。しかも競争に関してこんな声が聞こえてきます。「競争して勝たなければ、この厳しい社会に生き残っていくことはできない。それをエゴイズムと非難することは、建て前としては立派だが負け犬の遠吠えに過ぎない」、あるいは「現代の物質的繁栄は競争の成果による...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 21分


真の勝者とは自己との闘いに打ち克つ者
時局論考:2001年9月11日米国同時多発テロについて 西半球で生まれたキリスト教文化圏もイスラム文化圏も元をただせば、宗教的にはいずれもユダヤ教から派生した文化圏であり、旧約聖書の世界によってはぐくまれてきました。にもかかわらずヨーロッパ史というものは事実上、「キリスト教...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 19分


倫理の新しいかたち
現代の私たちは、科学技術の利用について社会全体として数多くの重要な決定をしていかなければなりません。下した決定は、環境や人間の健康、社会、あるいは国際的な政策に影響を与えます。また、科学技術の利用に関するさまざまな問題を解決していくためには、多方面の学問、特に社会学、生物学...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 14分


五如来について
施餓鬼供養において対象となる仏には5種(それぞれに独自の色を配す)あるが、これがいわゆる「五如来」である。経典によれば、五如来の威光が餓鬼を救うとされている。本稿では、盆・施餓鬼期間にとりわけ馴染み深いこれら各如来について概略する。先祖供養に際しての施餓鬼の意義を再認識して...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 3分


科学の本質---宗教的なるものとのつながり---
あと一年少々で幕を閉じようとしているこの20世紀は、まさに「科学の世紀」と呼ぶにふさわしい百年でした。現代科学は、すべての分野で劇的な飛躍を遂げ、それに伴い人間の生活も世界のあり方も根本的に変わってきました。現実に私たちは日々、科学技術に囲まれた生活を送っています。...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 20分


「生きる」ことの本質---脱宿命論と報恩謝徳の念---
「自らの運命は自ら開くべし」---釈尊の教説を極限まで突き進むと、ここに到ります。そして、自ら運命を開くためには行為、行動、実践あるのみです。人生についてどのように考えることがあっても、それを実行に移さない限り局面は変わりません。大切なのは、観念や理念ではなく実践だというこ...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 16分


いのちの本質---万有一元の法
二十世紀後半の大きなテーマのひとつは、生命・環境でした。現在、世界的な規模で倫理の新たな枠組みづくりの必要性が叫ばれていることはご承知のとおりです。 そうした中で、先端的医療科学の発展が、古い人間観を問い直さざるをえない状況をつくり出しています。新しい人間観をどう生みだして...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 23分


宗教の目的 ---己を知ること---
「宗教とは何か」という問いに対しては、さまざまな答えが考えられますが、ひとつの回答としては、「自分自身という存在に意味を与えるもの」といえると思います。 ある意味において、この世の中で、自分自身ほどわからないものはありません。自分はなぜこのような姿形をしているのか、なぜこの...

明輪寺 / 空性寺
2020年12月25日読了時間: 14分
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