かつて戦後からまだ10年も経っていない頃に、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」という文句が巷で流行したことがありました。これは『君の名は』という連続ラジオ放送劇(昭和27年)の冒頭の台詞です。戦火の中で巡り合った男女が擦れ違いの運命に翻弄され、忘れることができないにも拘わらず、敢えて忘れてしまわなければならない葛藤の精神状況を詩的に表現しており、当時の日本人の琴線に強く触れるものでした。たしかに、心を通じ合った人との忘れ難い出会いと別れだけでなく、心を突き刺す言葉や二度と思い出したくない経験の類は誰にも必ずあります。とは言え、それらを頭から捨て去ってしまいたいと思っても、そう念じれば念じるほどむしろ忘れることができなくなるものです。忘却と記憶という、この相反する脳の機能を人生の中でいかに使い分けていくかは日々の生活の質にも直結するだけに、私たちにとって避けて通れない問題です。我が往昔を振り返る際に過去の記憶が自身を困惑させたり苦しめるのであれば、その「過去」は自分にとってどのような意味があるのか。激烈な憎しみや悲しみを抱かざるを得ないような体験をしてしまった人が切に求めるものとは、「過去を引きずらず、現在を有意義に生きる」ということに尽きるはずですが、残念ながら記憶喪失にでもならない限り過酷な思い出を引きずって生きるしかないのでしょうか。
淡々と日常生活を送る中でも、私たちの心は千変万化する内外の現象に強弱さまざまに反応し、それらが心の澱となり溜まっていきます。その際、反応が弱く執着する度合いが低ければ、やがていつしか忘却されるでしょう。しかし強く反応し執着する場合、その澱はなかなか消えずに心の中に沈殿していき、時には忌まわしい記憶として頭の片隅に居座ることになります。そう捉えるならば、意識的に何かを「忘れる」ということの重要性は、物事を「憶える」ことに劣らず、あるいはそれ以上に絶えず留意しておくべきものと言えます。通常、「記憶力」の増強に私たちの関心が向かいがちですが、「忘却力」を鍛えることは日々を恙無く暮らしていく上での大切な秘訣なのかもしれません。自分にとって必要な記憶も、さほどそうでない記憶もすべて抱え込んでいては、脳の記憶領域は雑草が伸び放題の庭のようになり、どれを刈り取り、どれを残せばいいかが皆目分からないような状態になってしまいます。
「忘れる」という心の作用は、大事な約束の失念などで代表されるように、社会生活において様々な失敗や挫折の元となる一方、人間の精神的安寧にとって不可欠な機能でもあります。それを自然現象の例に求めるならば、私たちの胃腸を苛む食中毒の主因でもある多種多様な腐敗菌の活動が挙げられます。しかし、それらの働きのおかげで生物の死骸は速やかに分解溶融されて土に還っていきます。仮にこの世に腐敗菌が存在しなければ、地球上の大地は命を終えた動植物の膨大な残滓で溢れかえってしまうはずです。同様に、辛く悲しい事、嫌で苦しかった事をいつまでも忘れられなかったとしたら、人の一生は負の記憶に覆い尽くされて立ち行かなくなります。私たちは深浅の差はあるにせよ様々な不満や不安を抱えて毎日を過ごしていますが、それでも大多数の人々が心の破綻を招かずにいられるのは、人間の脳に「忘却」機能が装備されているからです。これまでに味わった体験をすべて生々しい感情を伴った近時的な記憶として蓄積し続けた暁には、錯乱を起こして精神に異常をきたしてしまうことさえ十分あり得るでしょう。
1970年代のアメリカにおいては、ベトナムからの多くの帰還米兵が彼の地での壮絶な戦場体験を忘れることができず、帰国後の生活でも尋常でない心身の苦しみに喘いでいました。そのため彼らの中には自殺を図ったり、薬物依存症や鬱症状を呈する者が続出し、深刻な社会問題として報道されました。そして彼らを診察調査した結果、戦争時の極限的なストレスが精神に深い傷を残し、このような症状を引き起こしていることが判明したのです。これは「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という疾患名で呼ばれ、「忘れ得ぬ深刻な体験」の及ぼす体への重大な影響について研究が進む契機となりました。逆に、幼少期の虐待体験、あるいは自然災害やテロ攻撃の被害など極めて衝撃的な事態に遭遇した場合、通常であれば忘れ得ぬ記憶としてそれらの出来事が脳に刻み込まれるはずですが、その当時の記憶が完全に欠落してしまう症例もあります。これはいわゆる「解離性健忘」として観察される現象であり、やはり激甚なストレスによる心的障害です。耐え難い心の苦しみは時として強い衝撃を身体の随所に与え、そこから自分を防御するために、脳はその出来事、またはそれに関連する事柄の記憶のすべてに蓋をしてしまうものと考えられます。
忘却が「時間」の経過と密接な関係を有することは、誰もが経験的に知っています。科学的にも、人間の記憶は自然に放置しておくと、一定の曲線を描いて徐々に薄れていくという現象が実証されています。それでもなお、忘れようと願いながら忘れられずに煩悶することがあるのは何故なのか。実は「忘れよう」と意識していることにより、かえって忘れられないという状態に陥っているのかもしれません。つまり、「忘れたい」と願う痛切な気持ちに反比例して、むしろ鮮烈にその対象を思い出してしまうということです。すなわち「忘れようとする努力」は、暗記術で用いられる「反復」して記憶する行為とまったく変わらないものであると言えます。悲しみや不快な事を早く忘れようと力むたびに忘却までの時間を自ら引き延ばしてしまう状況を自ら作り出しているのです。さらには忘却への意識過剰な状態が記憶の定着を強固なものにしてしまうということにつながります。
ただし、人の記憶というのはコンピュータ内の記録素子のように脳の中に固定的に貯蔵されているものではありません。原初の記憶が常にそのままの状態で年齢を重ねても不変に保たれているのではなく、特に遠い過去の記憶の場合、現在の自分の都合の良いようにいつしか改変粉飾されていることが往々にして生じます。否、そもそも「正しい」記憶など最初からあり得るのか、という疑問すら湧いてきます。さらに、私たちの「人」としての拠り所の基盤は言うまでもなく記憶の量と質にありますが、人生におけるすべての日々瞬刻を同じ比率あるいは比重で脳に保存しているとは、常識的に見ても考えられません。結局、人が自覚する過去の記憶とは、思い出すたびに現時点の感情を中心にして脚色編集しながら「新たな過去」に更新し直したものの総体であると解釈することができます。ちなみに仏典の「般若心経」でも、私たちが普段は実在だと信じて疑わない自分の肉体、感覚、知覚、意志、そして認識や当の「記憶」も、さまざまな関係性のなかで瞬間的に立ち現れている(構築されている)に過ぎず、そこには恒久的な実在は無いと説いています。
また私たちは、別段、過ぎ去りし日々を強いて思い出そうとしているわけではない状況でも、何かを目にしたり聞いたりした折に突如として「思い出」の一齣が、あたかも映画の一場面のように脳裏に繰り広げられる瞬間に遭遇することがあります。例えば、子供の頃に訪れた土地に再び足を運ぶ。その時、眼前に広がるのは「現在」の風景であるはずなのに、同時に過去の情景や心情などが鮮明に去来する。これは、現在のなかに過去が畳みこまれていて、往時の記憶が自分の意思とはまったく無関係にふと甦る、としか言いようがありません。街角で思いがけなく耳にした懐かしい曲の旋律は、遠く過ぎ去った「あの頃」をまざまざと想起させる力を持っています。その際に思い起こされてくる過去の内容は決して記憶の単なる一場面だけではなく、当時の「想い」、すなわち「感情」が折り重なっています。しかしながらその変化は「美化」であり、「醜悪化」されることはほとんどの場合ないようです。ある意味で、忘却は記憶の内容を蒸溜するのです。とりわけ故郷の思い出は一般に甘美なものですが、むろん当初からそうであったわけではない。故郷を離れてから幾歳月の流れと共に往時の記憶が自然と薄れていき、回想することによって懐かしい故郷が「生まれる」のです。忘却を潜り抜けてきた記憶、つまりノスタルジー(望郷の念)だけでなく、どのような類の回想であってもそれがどこか哀愁を帯びた感慨であるということは、未だ解明されていない脳の霊妙な働きのひとつでしょう。
一方、意図的に何かを思い出すという、「記憶」を辿る日常的な作業は思い出す目的のみに専心しているために、感情を引き連れることはありません。このように観ていくと、私たちが人生を通して蓄えている「記憶」とは、時間を貫いて持続する「わたし」の意識と感情が互いに影響し合いながら自身の存在意義を創造してきた場でもあります。現在を起点にして過去の自分に縦横に辿り着けることができるのはまさに記憶の為せる技ですが、頭の中で現在と過去を自在に往来できるということは驚きであり、おそらく人間のみが有する特徴的な脳の機能です。ただし、時の移ろいと共に「わたし」の外貌も内面も否応なく変容を余儀なくされることと相まって、記憶も、「過去」の自分ではなく「現在」の自分の感情と思惟の影響を受けて書き換えられていくのです。
しかしこの娑婆世界を生きていると、歓迎しかねる出来事や事態とはどうあっても巡り合わせる縁があるものです。こうした「自分の思い通りにならない」ことによる心の苦痛は、仏教でも「四苦八苦」の一つとして数えています。そうなると、自分にとって受け入れがたい不快な体験を一思いに忘却の彼方に放擲してしまいたいという欲求が自然に湧いてくるのも人情です。そうした折に、物事を気に病む性質であるか、落ち込みやすい性格の人は、次のような慰めの言葉を人からかけられる機会が多いはずです。「そんな事は気にしないで、早く忘れるに限る」。むろん相手は励ますつもりなのでしょうが、そのように言われた場合、大抵こういう天の邪鬼な反発が顔を出します。「簡単に忘れられるくらいなら、誰がこれほど悩むものか」。体と心に刻み込まれた不快きわまりない記憶というのは、いかにしても自分の意思で忘れ去るのは至難なことなのです。ある人に裏切られて「この恨みは一生忘れない」などと苦渋の言を口にしてみたところで、当の加害者は自身の所業などとうの昔に忘れ、憎しみに心を占領されている被害者の側だけが怨嗟に延々と縛られることが多いようです。では、忘れないまでも、せめてそうした芳しくない記憶を一笑に付せるだけの度量を保つことはできないものでしょうか。そのためにはひとつの方策として、嫌な事を忘れる術を欲するような心性、それ自体の是非を虚心に問い直してみるべきです。つまり、忘れられない事は無理に忘れようとしない方がよいということです。人の心は不思議なもので、「忘れられない事はどうやっても忘れられないのだ」と開き直ると、むしろその拘りからの転回ができるようになることがあるものです。
生きること自体は、ある意味で無数の見聞や体験を通じた記憶の集積であるとも見做すことができますが、人生を充実たらしめる上で不可欠な要素のひとつは、自身の過去をただ時系列的に頭に残すだけではなく、その記憶を現在への適応と将来への展望に役立たせることであるはずです。これは結局、自分の記憶から何を学び、それをどう活かすかという問題でもあります。他方で、どれほど苦しい肉体の痛みでも時が経てば少しずつ和らぐことがあるように、いかに感動的で印象深い瞬間であっても歳月の流れとともにその記憶が茫洋としていくことを止めるのは難しい。それでもなお先述の如く、完全に忘れ去ることはなく、脳の何処かにそうした経験の痕跡が無意識から転じた「感情」の中に紛れ込んで残存していることは脳科学の成果が示すとおりです。本人の意思とは異なる次元で脳に蓄えられているそうした記憶をどう扱いながら生きていくか。自分にとって意義深く有益な出来事を末長く記憶させる機能のみならず、心の痛痒を速やかに忘却させる働きも、喜怒哀楽の源泉である感情との向き合い方ひとつで影響を受け、それが人生航路における心の豊かさの度合いを左右することになります。
過去の負の記憶に苛まれ自暴自棄になって今の自分を犠牲にするか、忘れられない事はそういうものと割り切った上で日々の現実対処に邁進するのか、いずれかを選ぶかによってその後の人生の展開に大きく関わってくることは間違いありません。他方、「思い出すのはつらい」、そう語る戦争体験者たちの声などはたしかに悲痛です。それでも彼らが異口同音に言うのは、「しかし、決して忘れはしない」という言葉です。事程左様に人の頭には忘れ去っていくべき記憶と、生涯にわたって忘れてはならない記憶の双方が混在しています。さらには、忘れたくない記憶があり、忘れられない記憶があります。人生とは、一日一日が完結する読み切りの短編小説なのか、それとも老少にまたがる大河小説なのか。楽しい記憶も悲しい記憶も含め、過去の自分と今の自分は記憶でつながっています。それは時として重荷になりますが、助けにもなります。忘れないから躓かず、忘れることで前に進めるのです。
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