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執筆者の写真明輪寺 / 空性寺

盆と施餓鬼


 盆(正しくは、盂蘭盆会)の時期に施餓鬼会をするところが多いので、両者は混同されやすいのですが、これらは本来、別のものです。本稿では、両法要の性格について若干ご説明させていただきます。

 盆は、旧暦7月15日を中心に行なわれる仏事で、本質的に、祖先の霊を自宅に迎えて種々の供物を具え、祖先の冥福を祈る行事のことです。その特色は、7月13日の夜に迎火を焚いて精霊を迎え、16日(地方によっては15日)の夜に送火を焚いて送る、という点にあります。

 盆の行事には、本来の仏事に様々な民俗行事が結びつくケースが多く、その出所についてみると、例えば中国では6世紀の半ばにすでにおこなわれており、日本においては推古天皇の14年(607年)7月15日に会所を特別に設けたという記録が最も古いとされています。したがって今をさかのぼる1300年以上前からわが国で全国的に営まれてきた行事であるといえるでしょう。

 さて、「盂蘭盆」の語義として、しばしば梵語(サンスクリット語:古代インドの言語)のウッランバナに由来し、「倒懸」(さかさまにぶらさげられる、の意)の意味があるとされる場合が多いのですが、現代の専門家による研究では、いかなる梵語文献にもそのような単語は存在しておらず、臆説であるとの見解が主流となっています。そのルーツについては、いわゆる西域を通じて、現在の旧ソ連ウズベク共和国の首都サマルカンド地方の住民である「ソグド人」(イラン民族に属する)の祖先が、古くから「霊魂」特に死者の霊魂を「ウルヴァン」と読んで、このウルヴァンを祀る祭事があったことが知られています。結論的には、「ウルヴァン」が中国の翻訳僧の手を経て「盂蘭盆(ウランボン)」と呼称され、やがて日本に伝えられた、とする説が現在最も有力です。盆の行事が実は、西域を舞台にしたきわめて国際色豊かな東西交流のひとつの民俗的結実であり、非常に日本的な風習であると思われがちな盆供養の営みが広大な地域を背景にしたものであることを想起し、仏教の懐深い国際性の一端を再認識していただきたいと思います。


 他方、施餓鬼は、「餓鬼道に堕ちて餓鬼に苦しむ亡者(餓鬼)に飲食物を施す」との意であり、無縁の亡者のために供養する法要を指します。したがって、供養の対象が肉親縁者の枠を越えて、普遍的な意味での人々に及ぶわけであり、いわば全人類的な救済思想がこの祭事の背景にあります。それ故に、祖霊の「供養」を包含するこの施餓鬼は盆の行事と並列的に営まれることが多いのですが、本来は供養の対象が明白に区別されている点に留意してください。原則的には、施餓鬼会は時期を問わずに実施し得るものなのです。


一般に流布している施餓鬼についての説話をご紹介します。


 釈尊(お釈迦様)の弟子のひとりに多聞第一とされる阿難尊者がおりました。あるとき、阿難の前に口から火を吐いている餓鬼があらわれて、「お前の寿命はあと3日だけで、死んだら餓鬼になる。もし助かりたければ、たくさんの餓鬼やバラモン、仙人に一人一石ずつ食べ物を施せ」と言いました。阿難は、とてもそんなにたくさんの施しをすることができないので、釈尊におすがりすると、「この言葉を唱えて施しをすると、七石ずつの食べ物を施すことになる」と、呪文を教えられました。

 それによって阿難は寿命を延ばして天寿を全うし、その後五十余年の間、釈尊に仕えすることができた、と伝えられています。


 私たち人間は、ある意味で、自然界の様々な動植物の生命をたべて生きている餓鬼です。米・野菜・魚・肉等、私たちは皆それぞれの生命を奪って生きているのです。こうした厳然たる事実の前にたつとき、私たちはあらゆるこの地球上の存在に対して、「自己」と「他者」の関係を常に念頭において生きていく義務があるといっても過言ではありません。「関係」はすなわち、仏教の基本的考え方である「縁起(相対関係性)」にほかならず、施餓鬼はまさしく、「まず他者の生命を救うことによって、自己の生命が生かされる」という人間の存在の宿命を説いているのです。祖先への祟敬と追慕を主眼にした「盆」と上述の「施餓鬼」の、各祭事の狙いとするところを十分理解されて、両法要の意義を噛みしめていただきたく思います。

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