top of page
検索
執筆者の写真明輪寺 / 空性寺

真の勝者とは自己との闘いに打ち克つ者


時局論考:2001年9月11日米国同時多発テロについて



 西半球で生まれたキリスト教文化圏もイスラム文化圏も元をただせば、宗教的にはいずれもユダヤ教から派生した文化圏であり、旧約聖書の世界によってはぐくまれてきました。にもかかわらずヨーロッパ史というものは事実上、「キリスト教のヨーロッパ史」として描かれ、ユダヤ教やイスラム文化圏については付随的にしか扱われてきませんでした。ところがヨーロッパ世界の成立と発展は、イスラム文化圏の影響なくして考えられません。たとえば、中世のヨーロッパ知識人がアラビア語を勉強して、アリストテレスの哲学をアラブ人から学び、それが契機となってキリスト教の文化が進歩し、17世紀頃から始まるヨーロッパの近代化に至ったことは歴史的な事実として記憶されるべきです。イスラム文化圏の存在は「ヨーロッパ世界」の形成にとって大きな原動力のひとつであったのです。

 しかしどのような宗教でも、一般社会にとって危険な存在となることがあります。それは、ある特定の宗教の基盤やその社会経済、あるいは文化が危険にさらされ、市民が明らかな差別や抑圧を受けていると感じたとき、宗教を共同体的な一致団結の手段、自分たちを他の集団からはっきりと区別するための手段に使うことが縷々あるからです。そして、宗教的な教えが生まれたときの状態に立ち返らせ、そのことによって宗教生活を「浄化」しようとする運動が生まれます。これが、キリスト教やユダヤ教にも、あるいはその他の宗教にも見られる「原理主義運動」というものです。ところがこれを宗教の外から見れば、社会変革をもたらす運動ですから「危険」な存在と映るわけです。では、現代の各種紛争の大きな原因ともなっているイスラム教圏と、キリスト教圏やユダヤ教圏との血腥い争いには、どのような背景があるのでしょうか?

 イスラム教は西ローマ帝国が滅んだ後に成立(7世紀半ば)したため、帝国の崩壊後に残された膨大な空白地帯に一気に広まりました。しかしこれは、当時のヨーロッパにとっては深刻な脅威でした。そのためヨーロッパは、11世紀末から13世紀末にかけて、聖地エルサレムの奪回を名目として「十字軍」の波状攻撃をかけます。その結果、ヨーロッパ世界は、当時はるかに高度に発展していたイスラム文明にはじめて接する機会を得、その後のヨーロッパの発展に大きく役立ちました。他方、イスラムの側から見れば十字軍は言語に絶する蛮行としか映らなかったはずですし、その認識のまま今日までイスラム世界の民族的記憶として刻み込まれていることも事実です。

 さて、キリスト教では、宗教生活〔聖〕と日常生活〔俗〕とは区別されており、宗教生活は教会と聖職者が専門に司ることになっています。従って、一般社会生活の上では、宗教から比較的独立して思想的あるいは学術的な進歩や近代化が行われました。一方、イスラムでは、宗教生活と社会生活は一つの総合的なシステムとなっています。ですから、キリスト教社会でみられるような、「教会法」と世俗世界での出来事を裁く法律体系との区別がありません。イスラムの教えに基づいた「イスラム法」が法律そのものです。そのため、社会のシステムや思想が宗教の教えから比較的自由に変化し、たとえばヨーロッパにおける「近代化」のような全面改革へ導くような動きが本格化することは結局ありませんでした。

 やがてヨーロッパは急速に近代化を遂げ、個人主義原理の実現、自由競争に基づく市場経済の発達、特に産業革命による富の蓄積、強力な新兵器による圧倒的軍事力などによって、大量生産・大量消費社会が必要とする輸出市場と原材料の供給地を支配下におさめていきます---イスラム文化圏もその大半がキリスト教文化圏の近代国家によって支配されます。しかも、ヨーロッパ各国の階級構造が自由競争の優勝劣敗の原理で正当化され、その論理が植民地にも当てはめられたのです。植民地支配を、民族の優劣に基づく自然の摂理だとして正当化したのでした。ですからこれに抗して、「イスラムの覚醒」を唱える運動がイスラム文化圏の各地で生まれたのは決して不思議ではありません。

 現在、先進国の人々が飽食の状態にある一方、イスラム諸国を含む途上国では膨大な数の栄養失調者が生まれているといわれています。先進国と発展途上国間の経済格差は年を追うごとに広がりつつあります。そして当然ながら貧富の差は、武力の差にもつながります。特に中東地域では、欧米諸国(特に米国)からの石油資源の搾取によって屈辱的な対応がなされていると感じる人々がイスラム教徒の中に少なくありません。こうして、先進国に対する途上国の不満や恨みが増大してきた結果、中東問題にも深く関わっている米国に向けられたテロリズムの動機が必然的に高まり、ついに爆発したのです。イスラム原理主義派にとり、米国とは「反イスラム国家」にほかなりません。そういう「反イスラム」への戦いを彼らは「ジハード(聖戦)」と呼びます。今度の同時多発テロは、このイスラム流の「永久革命」理念、つまりジハードとして米国に挑戦する者の仕業でありました。

 ところで、人類がつくりあげた処罰関係の法体系というものを考えると、主に個人の反社会的行為を「犯罪」という形で処罰する「刑法」と、国際社会を構成する主権国家同士の間のルールを取り決めた、いわゆる「国際法」の二つに大きく分けられます。しかし、これらの法律は、個人(組織)と個人(組織)の争い、たとえば殺人や強盗、あるいは国家と国家の争い、たとえば戦争や条約といったことを前提に法体系が構築されているのであって、個人や私的な組織が外国に対して「戦争を仕掛ける」というような事態は想定されていませんでした。ところが、国境の壁を越えて全地球的規模で活動する組織が数多く出現している現状では、一民間組織に過ぎない「アルカイド」などが国家に対して闘いを挑むという、およそこれまでの法律では想定していない状況が生まれてきました。

 通常、国際法にいうところの「宣戦布告」とは、主権国家間で外交交渉の一手段として武力行使を行うための手続きであって、主権国家が個人もしくはある民間組織に対して「宣戦を布告する」というのは、法理論的にはありえないことです。しかし国際紛争の実情をみると、1979年のイラン革命によるホメイニ政権の成立以降、約10年間をかけて進行したソ連・東欧社会主義政権のドミノ倒し的崩壊、そして90年代の旧ユーゴスラビア内戦と、過去20年の間に国際情勢も驚くほど「構造改革」が進みました。第二次世界大戦直後に成立した米・ソ両超大国による「核の恐怖」と冷戦体制のタガが外れ、世界各地では宗教・民族紛争が主な戦争要因になってきたのです。

 その一方、国連や各国政府の側では、そのような形の戦争に対する法的な整備が十分進んでいませんでした。そこを突いたのが、今回の国際的に連携したイスラム原理主義勢力による一連のテロ活動です。今や、国家の敵あるいは国際社会の敵は、いわば先鋭化した一点集中型の軍事組織ということになったのです。

 イスラム社会にとって、グローバル化は長期的目標ではなく、むしろ短期的な脅威となるものです。たしかに、市場経済は貧困に対するひとつの解決策ではあります。しかしその初期段階においては、国民を血縁関係を基盤にした共同体から都市部や、その中でも貧民街へと移住させるため、伝統の絆が損なわれてしまいます。また、こうした移住から何十年も後になって貧困から脱してもなお、近代化はきわめて信仰心の篤い人々の価値観をおびやかしかねません。その結果、9月11日のハイジャック実行犯にみられるような若者たちが誕生します。つまり、貧しくて教育を受けていない者たちと、教育を受け、中産階級に属す欧米国際資本主義を憎悪する者たちです。


 ここにひとつの厳然たる事実があります。それは、「戦い」は人間の本能に根ざした自然な行為であり、人間の存在と分かちがたい関係にある、というものです。キリスト教徒は、この世から戦いをなくさなければならないと口では言います。この考えは「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」という聖書の言葉に由来したものです。しかし、現実はどうだったでしょうか。世界で頻発する多くの戦いの原因は、どこにあったのでしょうか。他方、イスラム教徒(ムスリム)に言わせれば、戦争の目的は宗教的なものであり、何よりも唯一絶対神アッラーのための行為です。イスラム原理主義者はたしかに暴力的な側面を持ち、その暴力の根は彼らの聖典であるコーランのなかにもイスラム文化の歴史のなかにも存在します。と同時に、イスラムは世界中に10億の信徒を抱える世界宗教であり、多様な人種や肌の色、国籍のムスリムが数百種類の異なる宗派や運動に所属しています。平和を愛するムスリムもまた、イスラムの信徒であることを忘れてはなりません。

 逆に、イスラム過激派がそうである以上に、米国自身も「原理主義」的であることはあまり指摘されていません。実は、米国とは隠れもなき一大宗教国家です。米合衆国通貨に刻まれた「In God We Trust」(我々は神の加護を信ずる) や聖書の上に片手を置いた大統領就任宣誓はいうまでもなく、今回のテロでも英国教会派の教会で(一神教のユダヤ教とイスラム教の指導者のみを招いてですが)国家的な追悼行事が行なわれています。本来普遍的であるべき人間についての米国のこういう世界観は、タリバーン政権がバーミヤン大仏を破壊したときと今次テロにおける対応との違いにも顕著にあらわれています。バーミヤンの場合には、それが仏教遺跡だったということが決定的な差でした。もしキリスト教系の遺跡であったら、その後の展開はそう簡単なことではなかったであろうことは容易に想像がつきます。今回の対テロ報復は、米国にとって一神教のキリスト教論理での「聖戦」なのです。

 歴史を振り返れば、中東問題とはある意味で米国問題です。1953年、米国はイランでCIAの工作による親米クーデター(石油利権が目的)を起こしてパーレビ王政を樹立しました。国王はその後、脱イスラム化を進める白色革命に着手します。ところが1979年、ホメイニ師らによる反王制・反米・イスラム復古革命が成功し、首都テヘランで元国王の引き渡しを要求して米大使館占拠人質事件が発生します。ちょうどその頃、アフガニスタンにはソ連軍が侵攻していました。ここで米国は対イラン・アフガニスタンの二正面に対応しなければならなくなります。翌1980年、フセインのイラクが国境問題でイランに戦争を仕掛けます。そのとき米国はフセインを支援しました。一方のアフガニスタンでは反ソ陣営を支援します(そういう中に若きビン・ラーディンもいたのです)。1989年、ソ連軍はついに撤退します。その後、ゲリラ各派による内戦となりますが、タリバーンは急成長し、1996年に首都カブールを制圧し、1998年にはほぼ全土を支配するに至ります。

 また、1979年に旧ソ連軍がアフガニスタンヘの軍事介入を行ったとき、「無神論者からイスラムの同胞を守る」ためにアラブ諸国から義勇兵が送り込まれました(当時、ビン・ラーディンはまだサウジアラビアの国籍を持つ富豪の青年でしたが、その義勇軍に身を投じ、自らの信仰、信念と資産力をもって反ソ連のゲリラの指導者になっていきます)。米国(CIA)と提携してイスラム過激派(後の原理主義グループ)の武装闘争の訓練機関をつくったのはその頃のことでした。

 しかし、湾岸戦争を契機にサウジアラビアに米軍が駐留し続けると、ビン・ラーディンは猛然と米国を批判し、サウジの王家とも対立して、1991年に祖国を追われ、国籍も剥奪されました。1998年、聖地メッカを汚す異教徒の軍隊(米国)を敵として、反米闘争の指導者となったビン・ラーディンは、ケニアとタンザニアの米国大使館を同時爆破するというテロ攻撃を指揮したとされます。アフガニスタンにかくまわれたのはその当時のことで、米国への身柄の引き渡しを拒否したアフガニスタンのタリバーン政権は、国際的な経済封鎖を受けることになりました。米国はこの時も「報復攻撃」をアフガニスタンに対して行いました。標的となったのは、米中央情報局(CIA)自身がつくった「テロ教育施設」の遺物でした。つまり「共産主義とソ連」に対して闘った冷戦時代の負の遺産が、今度はイスラム原理主義とテロのための「組織と技術」となったのです。そしてさらに今、かつてソ連に向けられていた「暴力」が、生みの親・育ての親である米国に向かっているという皮肉な事実を見ておかねばなりません。

 見方を変えると、ブッシュ大統領による今回の「世界戦争」宣言とは、世界「同時多発」テロも辞さない長期的な「米国のための戦争」を布告し、それを続ける根拠を担保するためのものと言えなくもありません。米国は、ビン・ラーディン率いるアルカイダや、これまでアフガニスタンを実効支配していたタリバーンのことを「狂信的なイスラム原理主義勢力」と決めつけていますが、もう一方の当事者である「宗教国家」米国の原理主義的性格についてはほとんど言及されていないのが実情なのです。


 「喜びも束の間」という言葉があります。楽しいこと、嬉しいことを感じる時間は短いものです。また、戦争やテロ、阪神大震災といった未曾有の悲劇に見舞われても、人々はその悲しみを乗り越え、また歩み始めます。しかし、悲惨な出来事や嫌な事をできるだけ忘れようとするのが人間心理であるため、その中で得た大切な教訓や責任まで一緒に忘れてしまいがちであることも残念ながら事実です。

 逆に、人間の心には「決して忘れない」感情というものもあります。それが「憎しみ、恨み」の感情です---「これだけは死ぬまで忘れない」というほど深く記憶に刻まれる出来事によります(例えば、侵略戦争で痛手を負った中国や韓国などの国々が未だに日本の歴史教科書の内容に敏感に反応するのも、恨み、憎しみの感情が残されたままだからであり、それが後の世代にまで語られ、受け継がれているからです)。

 一般に加害者は、自分にとって不都合な出来事はできるだけ忘れようとします。しかし被害者はその恨みの気持ちを深く心に刻み、復讐を誓います。その結果、加害者と被害者の間に大きな認識の差、感情の差が生じます。そして被害者は恨みの感情を決して忘れないどころか、その感情は時とともに高まってしまうことすらあります。

 今回のテロの根本的な原因は米国にある、という論調が一部で見られますが、たしかにそういう側面もあるかもしれません。根本的な原因だとは言えない可能性もありますが、近代になってから幾度となく、米国がアラブ諸国、イスラム諸国から恨みをかうようなことをしてきたのは否めない事実でしょう。逆に言えば、何もないのにテロなど起こりません。そのような出来事が何度も重なると、恨みの感情が増し、何かが起こる度に過敏に反応するようになるものです。それが集団心理となり、集団に加わる人間が増えるにつれ、その感情が増幅されていきます。同じ思いで一致団結しようと立ち上がります。そういった経過をたどりながら、イスラム教を拡大解釈したイスラム原理主義過激派を崇拝する人々が増え続け、それに伴いテロリスト集団が増殖したのかもしれません。

 そしてひとつの発端から、暴力に発展し、暴力によってさらに恨みの気持ちを相手に植え付け、それを繰り返しながらエスカレートしていきます。憎しみが憎しみを生み、暴力が暴力を生みます。力でねじ伏せても、ねじ伏せられたという事実は永久に消えることがありません。テロリストを全員殺して一掃したつもりであっても、イスラム原理主義過激派とテロリストが世界中に散らばっている限り、その身内も含め、ひとり残らずこの世から消す事など不可能です。

 また、テロは核爆弾と違って抑止力というものがないに等しいのです。特に自爆テロの場合は、「刑」をいくら重くしても意味がありません。いつでも、どこでも、誰にでも行えるという性質を秘めています。戦争の場合、核抑止力というものが働きますが、テロの場合は根本原因をなくさない限り、永久に続く事になります。

 従ってテロや戦争をこの世から消すためには、「テロと戦う」という姿勢では駄目だということになります。「恨み」の感情をこの世から消し去ることしかありません。「戦う」という言葉あるいは行動がある限り、そこには必ず恨み、憎しみが発生します。武力による制圧、テロリストの一掃は一時的な解決にしかならず、それは逆に、将来さらに大きなテロを起こす根を新たに植えつけ、最終的には自分の首を締め付け、自らを破滅に追い込む結果となりかねないのです。

 むしろ、「米国が勝つ」などという発想そのものが、テロを誘発してきたという事情に気付かなければなりません。なぜならば戦争の敗者には命を奪われたという事実から強い恨みの感情が残るからであり、その恨みの感情こそが、テロの根本原因だからです。そのために、彼らの言い分にも耳を傾け、謝罪すべきは謝罪し、双方が歩み寄るように対話の場を設け、和平プロセスを進めていかなければなりません。「自分との戦いに勝つことが、真の勝利であると定義される社会」こそ理想であり健全だといえます。勝ち負けのあるところは必ず事件やトラブルが発生し、警察、軍が必要になるものです。

 ですから私たちとしては、できるだけ全体的で公平な視野を保ちつつ、事態の真実を見きわめていかなくてはなりません。そこから、おのずと現代世界に対する位置付けと役割が見い出されていくでしょう。

 ここで、宗教という視点から見てみますと、マハトマ・ガンジーを祖とする「非暴力主義」の思想が当然ながら浮き彫りになります(キリスト教やイスラム教と比べて、仏教が非暴力・平和主義であるという印象は、ガンジーの存在が多分に影響しています)。しかし、ガンジーが実践した非暴力主義は「いっさい手を出さない」という軟弱な平和主義ではありませんでした。「仲良く手をつないで平和行進する」のではなく、「暴力の前に身をさらす」ことによる抵抗闘争でした。場合によって彼は自ら「死を賭した断食」を行いました。つまり、暴力を身に受けとめ、暴力を内に向けたのがガンジーの「非暴力」でした。自殺もまた自己にむかった暴力なのです(周知のように、ガンジー自身、狂信的なヒンズー教徒テロリストによって「殺害」されました)。

 また例えば、パレスチナの人々が置かれている現実を前にした時、彼らに向かって非暴力主義によって「問題を解決しなさい」と誰が軽々しく言えるでしょうか。パレスチナだけではありません。イスラム諸国の多くは、前述のように貧困と飢えに直面しています。イスラム圏のみならず途上国は概して、グローバル化と称する先進国の経済政策の蔓延により年々窮状が進んでいます。日本においてもそれは他人ごとでなく、弱肉強食の市場至上主義が跋扈しはじめています。

 一般に、テロリズムといえば「イスラム原理主義」の国際ネットワークの問題だと思われがちですが、実は日本自体もそうした構図に組み込まれており、国内のどこかに凶悪なテロリズムが育ちつつあるかもしれないのです。5%を超える失業率、毎年30,000人以上の自殺者が生じている現代日本社会は、いつなんどきテロの温床と化してもおかしくはありません。

 いうまでもなく、政治的願望や社会的要求を暴力的に実現しようとする手法は、自由な論議や多数の合意をもって目的を実現しようとする民主主義手続きとは正反対のやり方です。しかしテロを批判し、否定すべく「対決」するその当事者も、いつしか敵と似通った相貌を生ずることも経験的な事実です。米国でCIAが「要人暗殺」戦術を復活すると言い出し、ハイジャックされた民間航空機は即刻「撃墜」すると国防長官が宣言した時点で、当の米国自身も事実上「ならず者国家」と変わらぬ貌になる危険性を秘めています。

 今、捕捉の非常にむずかしい敵を相手に戦争が本格的に展開されています。テロリズムを地上から根絶させようとする「闘い」は本来、宗教的なテーマです。なぜなら、人間ひとりひとりの魂の内から、他者を襲って政治的願望を遂げようとする情動を断とうとするきわめて精神的な「闘い」でもあるのだからです。戦争と違って、テロリズムはたった独りの「想い」によってでも起こし得るのです。それだけに米国から発せられた「報復」のメッセージが、その目的に反して「報復の連鎖」を生みかねないことは誰の目にも明らかです。仏教の考え方によれば、原因のない出来事はありえません。テロリズムが横行する社会にはそれなりの原因が存在しているはずです。今こそ、一般市民の「協力」と「自覚」によって、心の内と外の両面からテロリズムを「封じ込める」ための宗教的メッセージ---「怨念と復讐の連鎖は擁護すべき同胞すら失う結果となり、ひいては全人類の滅亡につながる。力を持つ者は持たざる者に対して慈悲心を抱き、力を持たざる者は持つ者に対する嫉妬心をなくすこと。真の勝者とは自己との闘いに打ち克つ者。相互理解に向けた徹底した対話以外に方途なし」---が必要なのです。

 繰り返しますが、実行犯と目されているイスラム原理主義のテロリストたちをいくら殺しても、効果がないだけでなく、かえって逆効果になる可能性もあります。彼らは「聖戦」での死が、天国で最高の地位に昇るためのパスポートだと考えているからです。とすると、私たちが殺した人間は単なる「殉教者」ではなく、「模範的な人間」ということになってしまいます。自ら殉教の道を歩もうと願うイスラム原理主義者にとっては、お手本以上の存在になるわけです。

 米国は、反撃によって血で血を洗う争いに踏み込むのではなく、自らの政策を見直すことによって問題の根源をとらえるべきです。イスラム民衆の納得を得ることによって、「テロリスト」への民衆の同情を殺ぎ、民衆を離反させる政策こそ、テロ問題を抜本的に解決する有力な道です(かつて---現在のビン・ラーディンのように---悪党視されていたアラファト議長を、今や自治政府の長として厚遇している事例を想起すべきです)。具体的には、サウジアラビアからの撤兵を即時に決定し、中東政策の根本的変更=譲歩を約束することが喫緊に求められます。過激派はともかくとして、原理主義的勢力一般が軟化し、イスラム民衆の抑圧感が減少することによってこそ、テロ根絶が可能になるのです(ちなみに、タリバーン政権の打倒に成功しても、北部同盟にせよ、元国王にせよ、安定的な後継政権の構築は極めて困難です。内部分裂の可能性もあるほか、残存するタリバーン側との戦闘も残るでしょう。それは、さらに国土の疲弊や内戦及び「戦争」の長期化を招くかもしれません。これこそ、ベトナム戦争の悪夢の再現となるものです)。

 戦略的に考えれば、イスラム世界をも含めた国際法廷の開催を条件に米国が武力報復の放棄を宣言することがきわめて効果的な政策になると思います。それによってテロリストをイスラム社会から孤立させ、第三世界に蔓延している反米感情を消し去る大きな効果があるからです。結果的に、武力行使の手段以上に凶悪テロリストを確実に追い詰めることができます。

 今回の事件のようなことを地上から消滅させていくためには、やはり、表面的な「力で抑止する」という行動だけでなく、「弱者に対する強者の思いやり」という視点もまた重要なことなのです。

 世界を震撼させるこうした大事件がなぜ起こったかを理解するためには、世界の多くの民族が欧米列強の植民地化政策に痛みつけられてきた歴史を学ぶことが必要となってきます。「今日は人の身、明日は我が身」とも言います。決して海の彼方の問題ではありません。また、テロリズムの根底には、南北問題(貧困、経済の不平等)、さまざまな差別、武力による外交などに由来した牢固とした憎悪の感情が伏在しています。これらの悪と罪の連鎖という歴史の中に、私たち自身も責任の一端があることを忘れてはならないでしょう。


 最後に、近代の欧米諸国が形成してきた世界秩序の論理に対して、私たち日本人はどのように対処していくべきでしょうか?

 それはやはり、欧米にはなく、しかも多くの国や地域の人々に受け入れられる新しい共生的な世界秩序のモデルを示すことでしょう。要は、それぞれの民族や社会が、固有の伝統や特質を生かしながら、互いに内部には干渉せずに共存していけるようなシステムを考えることです。それは、世界の文化が多種多様であることこそ、私たちが必要とする問題解決のための王道であることを意味しています---人類社会が多種多様であってはじめて、私たちは互いに他の民族・文化から常に何かを学び、助け合うことができるわけですから。私たちにとってイスラムの文化もその例外ではありません。

閲覧数:107回0件のコメント

最新記事

すべて表示

喪失

Comentários


Os comentários foram desativados.
bottom of page